カンボジア旅行知恵袋

カンボジア旅行に行く前にぜひ訪れていただきたいカンボジア旅行総合情報サイトです。大使館、ビザなどカンボジア旅行の基本情報から、アンコールワットなどカンボジア現地最新情報までお伝えします。

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フランスの博物学者アンリ・ムオーのアンコール遺跡の再発見

5、6世紀から徐々にその版図を広げていったクメール人(カンボジア人)は、9世紀、ヤショーバルマン一世によって4キロ四方の大環濠都城を建造したことでますますその勢力を確固たるものになります。

王都は、その後現地語で「ヤショーバルマン王の都城」を意味する「ヤショーダラプラ」を呼ばれ、550年間にわたって都城と寺院が建設されていきました。

これらが今日残る、アンコール遺跡群です。王都がアンコール・トム、そして12世紀に建てられた大寺院がアンコール・ワットです。これをごちゃごちゃにされている方が多いです。しっかりと理解していてくださいね。

その後、アンコール王朝はジャヤバルマン七世のもとで最盛期を迎えましたが、15世紀になり、シャム(タイ)のアユタヤ朝によって攻略されました。

アンコール王朝はそれから苦難の時代を迎え、都を点々とすることになったのです。

そして疑問になるのは、9世紀「ヤショーバルマン王の都城」と呼ばれ、550年間もかけて建造されていったあのアンコール遺跡群はどうして廃墟になってしまったのでしょうか。

15世紀中期に、プノンバケンの小さな丘の4キロ四方の大環濠都城、アンコールを首都として栄えたアンコール王朝(クメール帝国)は、タイのアユタヤ朝との戦いに敗れたあと、急速に衰退し、アンコールも都市としての機能を失いました。そしてやがて原生林におおいかくされてしまったのです。

19世紀後半、フランスの博物学者アンリ・ムオーが政府の援助を受けることなくジャングルのなかにこの遺跡を再発見しました。彼は個人的な経費でインドシナ全域の科学的調査を行ったのです。

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  1. カンボジアの遺跡群
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カンボジアの歴史、そのアンコール王朝の隆盛と衰退

カンボジア旅行する上で、知っておききたいことはその国の歴史です。簡単ですが説明しますと・・・・。

アンコール王朝(クメール王朝)は、現在のカンボジア人(クメール人)が5、6世紀から版図を拡大し、9世紀にヤショーバルマン一世が巨大な都城、ヤショーダラプラ(ヤショーバルマン王の都城)を建設したことから、ますます栄えていきます。

現在のアンコール遺跡群は、ヤショーバルマン一世の建築から約550年間にわたり建築され続けてきた、都城(アンコール・トム)であり、11世紀に建設された、大寺院(アンコール・ワット)なのです。


アンコール王朝の最盛期

アンコール王朝は一時期、インドシナ半島に伸張してきた近隣勢力によって占領されてしまったこともありましたが、すぐに回復し、ジャヤバルマン七世の統治下で、空前の繁栄をします。

その領域は、インドシナ半島の大部分を占めるほどになったのです。王は道路網を整備し、街道には121箇所の宿泊所を設置したといいます。さらに国内には102箇所に病院が建てられました。


アンコール王朝の衰退

そしてジャヤバルマン七世の統治下で最隆盛を極めたアンコール王朝でしたが、ジャヤバルマン七世の死後、その国力は急激に衰退します。

15世紀(1432年)には、シャム(現在のタイ)のアユタヤ朝によって攻略されました。
アンコール王都は陥落しました。その後、もともとプノンバケンの小丘にあった都は、スレイサントール、プノンペン、ロベック、ウドンへと点々とすることになります。

そして西のシャム(タイの勢力・・・アユタヤ朝、バンコク朝)、東のベトナム(グエン朝)に領土を侵食されながら、近代へと至ったのです。


カンボジアの歴史を調べることによって、タイやベトナムのことも勉強することになります。そして、次回タイやベトナムを旅行するときに役立つ知識となるのです。

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  1. カンボジアの歴史
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カンボジアの小都市シエムレアプ、港市コンポンソム、バッタンバン、コンポンチャム

カンボジアの都市

具体的にカンボジアのそれぞれの年の特徴についてお伝えしていきますね。

カンボジアのそれぞれの都市は規模が小さいのが特徴です。
首都プノンペンはやはり大都市ですが、プノンペンを除いた、アンコール遺跡観光の拠点でありかつてのアンコール王朝の都シエムレアプ、港市コンポンソム、北西部の大穀倉地帯バッタンバン、そしてメコン川流域のコンポンチャムなど魅力的な都市がたくさんありますが、人口は2、3万人程度の都市がほとんどです。

カンボジアの都市は、もともと河川沿いの都市(港市)が商業的に発達してきたものや、フランスの植民地時代に州都として人工的に開発されたものが大部分なのです。現在も人口の大部分は、農村部に居住しています。

カンボジアの地図をみると、「コンポン」という地名がよくついていることがわかるでしょう。コンポンというのは、現地に言葉で港や渡し場の意味です。川の近くの都市には多くみられます。

たとえば、フランスの援助によって1960年につくられたカンボジア最大の貿易港、「コンポンソム」、プノンペンから北西約100キロのメコン川沿いにある、「コンポンチャム」、がそうです。

コンポンソムは、現在、特別市に認定されています。美しい海岸線がタイランド湾(シャム湾)に続いています。別荘地としても知られています。

一方、コンポンチャムは、メコン川の恵みを受け、天然ゴムの栽培が盛んです。米、トウモロコシなどの作物の集積地であり、河川交通の要所となっています。

カンボジアを訪れる旅人は、首都プノンペンや、アンコールの都シエムレアプを訪れるだけでこの国を去ってしまう人が多いです。しかしメコン川やトレサップ湖など、水際の魅力も旅行のひとつに加えてみればいかがでしょうか。

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  1. カンボジアの観光箇所

カンボジアの首都プノンペンとアンコール遺跡群観光の拠点シエムレアプ

では、それぞれの都市について、もっともっと具体的にお伝えします。
カンボジアの都市はプノンペンを除いては小都市が多いとお伝えしましたが今回ご紹介するプノンペン、シエムリアプはやはり大都市ですね。


首都プノンペン

「プノンペン」というのは現地の言葉で「ペン夫人の丘」という意味です。熱心な仏教徒であるペンという豪族の夫人が、洪水のときに流れ着いた四体の仏像を小高い丘「プノン」に安置したという伝説からこの名がついたといわれています。

王宮の前でメコン川とサップ川が合流し、すぐ下流でメコン川本流とバサック川に分流する地点、チャド・モックに位置します。チャド・モックとは、「4つの面」を意味することばです。現在は、商業都市です。かつてはアンコールの外港として栄え、17世紀には日本人町もあったといいます。



シエムレアプ

「シエムレアプ」というのは、「シャム(タイ)の征服」という意味です。1907年にフランスがタイから割譲するまで、この地はタイ領だったのです。シエムレアプは、アンコール遺跡群のある町として知られています。大環濠都城アンコール・トム、巨大な寺院アンコール・ワットをはじめとする、アンコール遺跡群は、東南アジアで最大級の石造大伽藍群です。シエムレアプという言葉よりアンコールワットという言葉のほうが有名ですよね。

現在のタイであるシャムのアユタヤ朝に15世紀に侵略を受ける前、ジャヤバルマン7世の統治下で、アンコール王朝は最盛期を迎えました。ジャヤバルマン7世は道路網を整備して街道に121箇所の宿泊所を置き、国内の102箇所に病院を建てたといいます。
すごい国内整備です。どこかの国の政府の人に見習ってほしいですね。

かつてこれほどの隆盛を極めた王朝は、その後衰退の一途をたどり、19世紀にフランスの博物学者アンリ・ムオーによって、アンコール遺跡群が再発見されるまで、ジャングルのなかで眠っていたのです。

現在、シエムレアプは、人口約6万人程度の小さな都市であるにもかかわらず、森と湖と遺跡を訪れる旅人であふれ、この国最大の観光地となっています。

やはり、カンボジア旅行にシェムリアップ観光ははずせませんね。

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  1. カンボジアの観光箇所

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